私が初めて本格的な葬儀に参列したのは、20代半ばの冬、可愛がってくれた叔父が急逝した時でした。それまで「葬儀とは何をするのか」を漠然としか理解していなかった私にとって、その3日間は驚きと悲しみ、そして深い学びの連続でした。斎場に到着してまず目に入ったのは、叔父の穏やかな遺影を囲む圧倒的な量の白い花々でした。通夜の席では、絶え間なく流れるお線香の香りと、僧侶の低く響く読経の声が、非日常的な空間を作り出していました。参列者たちが1人ずつ祭壇の前に進み、抹香を指でつまんで額に掲げ、静かに祈りを捧げる姿を見て、叔父がどれほど多くの人に愛されていたかを肌で感じました。私が最も心を動かされたのは、告別式の最後に行われた「花入れ」の時間でした。葬儀スタッフの方に促され、叔父の顔の周りに色鮮やかな花を1輪ずつ置いていくとき、冷たくなった叔父の頬に触れ、もう二度と会話ができないのだという現実が激しく胸に迫りました。それまでは単なる手続きのように思えていた葬儀の1つひとつのステップが、実は私の心に叔父の死を少しずつ、丁寧に刻み込んでいくための作業だったのだと気づきました。火葬場へ向かう霊柩車のクラクションの音、そして火葬炉の重い扉が閉まる瞬間の音は、今でも耳に残っています。骨上げの儀式では、箸を使って2人で1つの遺骨を拾い上げ、骨壺に納めました。「骨にする」という行為は一見残酷に思えますが、形を変えてでも傍に留めたいという人間の切ない願いが込められているように感じました。葬儀を終えて斎場を出たとき、外の冷たい空気が妙に心地よく感じられたのを覚えています。葬儀とは、故人のためであると同時に、生きている私たちが「さよなら」を言うための勇気をもらう場所なのだと痛感しました。あの時、叔父を丁寧に送り出すことができたからこそ、私は今も前を向いて歩けているのだと思います。葬儀という儀式が持つ、言葉を超えた癒やしの力を、私はあの冬の日、身をもって体験することができました。