私がまだ20代の始め、大好きだった祖母が亡くなったときのことです。急な知らせに動揺しながら、私はクローゼットの中から唯一の黒いバッグを引っ張り出しました。それは、当時流行していた海外ブランドのミニボストンバッグで、全体にロゴのモノグラムが入り、大きなゴールドのエンブレムが正面に輝いていました。当時は「黒いブランドバッグを持っていれば間違いない」と安易に考えていたのです。しかし、斎場の受付で記帳を済ませようとした瞬間、叔母が私のバッグを二度見し、悲しげな表情で首を振ったのを今でも忘れられません。式の間、自分の膝の上にあるそのバッグが、周りの質素なハンドバッグの中で異様な光を放っているように感じられ、私は恥ずかしさで居たたまれなくなりました。ロゴや金具は、静かに祈りを捧げる場において、あまりにも自己主張が強すぎました。何よりも、祖母との最後のお別れの場に、自分の虚栄心を持ち込んでしまったような気がして、祖母に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。葬儀とは、自分の地位やセンスを誇示する場所ではなく、自分を無きものにして、ただ故人の冥福を祈る場所です。私のバッグは、その「無」になるという作法を無視していました。四十九日の法要のときには、私はアルバイトで貯めたお金で、全く装飾のないシンプルな黒い布製のバッグを買い直しました。そのバッグを手に取ったとき、ようやく祖母と心穏やかに対面できたような気がしました。あの日の失敗は、私にとって大きな教訓となりました。バッグ1つで、その人の心根が透けて見えてしまうことがある。それ以来、私は持ち物を選ぶとき、常に「これは誰のために持っているのか」を自分に問いかけるようになりました。派手なバッグは、自分の不安を隠すための鎧だったのかもしれません。本当の大人とは、周囲に配慮し、その場を乱さない控えめさを身に纏える人のことなのだと、祖母は最期に教えてくれたのだと思っています。
祖母の葬儀で痛感した派手なバッグの後悔と反省