ある冬の日、私のもとに3親等にあたる叔母の訃報が届きました。彼女は新幹線で4時間以上かかる遠方に住んでおり、最後にお会いしたのは5年以上前の親戚の集まりでした。3親等という距離感は、近すぎず遠すぎず、参列するかどうか一瞬迷う絶妙なラインです。しかし、幼い頃に遊んでもらった記憶や、父の妹であるという血縁の重みを考え、私は仕事を調整して参列することに決めました。遠方の葬儀に3親等として参列する際、まず直面したのは移動と宿泊の手配です。葬儀の日程は急に決まるため、飛行機や新幹線のチケットを確保するのも一苦労ですが、親族として遅れるわけにはいきません。私は通夜の数時間前に現地に到着するように計画を立てました。葬儀会場に到着し、久々に会う従兄弟たち、つまり叔母の子供たちに挨拶をすると、彼らは非常に驚き、かつ喜んでくれました。「わざわざ遠くからありがとう」という言葉を受け、参列して本当に良かったと心から感じました。3親等という関係は、こうした危急の際にこそ、その価値が試されるのだと痛感しました。通夜の間、私は親族席の端に座り、流れる経を聞きながら叔母との思い出に浸りました。葬儀という場所は、日常の忙しさで忘れていた血の繋がりを再確認させてくれる、不思議な空間です。翌日の告別式でも、私は親族として出棺を見送り、火葬場まで同行しました。遠方からの参列であったため、移動時間は長かったものの、その分、故人と向き合う時間を十分に確保することができました。また、この参列を通じて、他の3親等や4親等の親族とも再会し、家系の近況を報告し合うことができました。葬儀がなければ、おそらく一生会わなかったかもしれない親戚もおり、故人が最後に私たちを引き合わせてくれたような感覚に陥りました。3親等という立場での参列は、時間も費用もかかりますが、それ以上の精神的な収穫があるものです。遺族にとっても、遠方から3親等の親族が駆けつけてくれることは、自分たちの親や家族がいかに愛されていたかを確認する機会となり、大きな慰めになります。帰り道、新幹線の窓から流れる景色を眺めながら、私は自分のルーツの一部をしっかりと見届けたという満足感を抱いていました。3親等という絆を大切にすることは、自分自身のアイデンティティを大切にすることにも繋がるのかもしれません。これからも、血縁を疎かにせず、可能な限り寄り添う姿勢を持ち続けたいと強く思いました。葬儀は悲しい場ですが、それと同時に命の繋がりを感じさせてくれる大切な儀式であることを、遠方の叔母が教えてくれたような気がします。
遠方の3親等にあたる親戚の葬儀に参列した記録