祖母が亡くなったのは、私が社会人二年目の冬でした。知らせを受けて駆けつけた病院の安置室で見た祖母の顔は、安らかというよりは、どこか苦しさを堪えているように見え、私の胸を締め付けました。実家に戻り、通夜までの二日間、祖母は客間に寝かされていました。しかし、私はそのそばに長くいることができませんでした。冷たくなった祖母の姿を見るのが、ただただ辛かったのです。そんな私を変えたのが、納棺の儀でした。葬儀社の担当者から「明日の午前中、おばあ様をお棺にお納めしますので」と告げられた時も、正直なところ、憂鬱な気持ちでした。しかし、母や叔母に促され、その場に立ち会うことになりました。納棺師の方が、まず祖母の体を丁寧に拭き清め、薄く化粧を施してくれました。すると、あれほど硬く見えた祖母の表情が、ふっと和らいだように見えたのです。まるで、長旅の疲れを癒やして、うたた寝を始めたかのように。その顔を見た瞬間、私の心の中にあった壁のようなものが、少しだけ溶けました。そして、いよいよ棺に納める時が来ました。父と叔父が体の両脇を支え、私たち孫が足を支えました。みんなで呼吸を合わせ、「せーの」の掛け声で祖母の体を持ち上げ、ゆっくりと白い布団が敷かれた棺の中へと移しました。その時、私の手には、確かに祖母の足の重みが伝わってきました。それは、紛れもなく、私が知っている祖母の重みでした。その重さを感じた瞬間、涙が溢れてきました。ああ、おばあちゃんは本当に死んでしまったんだ、と。頭ではなく、体で、その死を実感したのです。それは悲しい感覚でしたが、同時に、不思議な安らぎも感じました。祖母の旅立ちを、自分の手で手伝うことができた、という小さな達成感のようなものでした。その後、私たちは祖母が好きだったセーターや、孫たちみんなで書いた手紙を棺に入れました。私は、祖母がいつも褒めてくれた、初めての給料で買った万年筆を、そっとその手に握らせました。蓋が閉められる直前、私は祖母の耳元で「おばあちゃん、ありがとう。大好きだよ」と、ずっと言えなかった言葉を伝えることができました。あの納棺の儀は、私にとって祖-母との最後の対話の時間でした。言葉はなくても、体に触れ、その重みを感じることで、たくさんの感謝とさよならを伝えることができたのです。