父の通夜の夜、私は一人、祭壇の前に座っていました。母や親戚たちは、弔問客への対応の疲れから、奥の部屋で少し休んでいます。線香の煙と、静かに揺れるろうそくの炎だけが、父と私の間に流れる時間を刻んでいました。父は厳格な人で、私は幼い頃から父に褒められた記憶があまりありません。反発ばかりしていた私と父の間には、いつもどこかぎこちない空気が流れていました。そんな父が、もう二度と口を開くことはないのだと思うと、胸にぽっかりと穴が空いたようでした。ろうそくの番をしながら、私は父との数少ない温かい思い出を辿っていました。その時です。ふっと、何の前触れもなく、ろうそくの炎が消えたのです。一瞬、心臓が凍りつきました。部屋は無風で、誰も動いていません。それなのに、なぜ。私の頭の中を、「火を絶やしてはいけない」「故人が道に迷ってしまう」という、昔から聞かされていた言葉が駆け巡りました。「お父さんが、怒っているのかもしれない」。親孝行の一つもできなかった私を、父が責めているのではないか。そんな考えが浮かび、私はパニックになりそうでした。震える手でライターを探し、慌てて新しい火を芯に灯しました。再び灯った炎は、先ほどよりも心なしか頼りなく見え、私は罪悪感でいっぱいになりました。その後、休憩を終えた叔父がやってきて、私の強張った顔を見て「どうした?」と声をかけてくれました。私が正直にろうそくの火が消えたことを話すと、叔父は穏やかに笑ってこう言いました。「そうか。きっと、お前の親父が『もういいよ』って、お前に休めって言ってくれたんだよ。あいつは、そういう不器用な優しさしか見せられない男だったからな」。叔父のその一言で、私の目から涙が溢れ出しました。父が怒っているわけじゃない。むしろ、私のことを気遣ってくれているのかもしれない。そう思えた瞬間、ずっと胸につかえていた何かが、すっと溶けていくのを感じました。ろうそくの火が消えたのは、おそらく燃焼の過程で起こった、単なる偶然だったのでしょう。しかし、あの出来事と叔父の言葉がなければ、私は父との心の和解を果たせないままだったかもしれません。形式や迷信にとらわれるのではなく、故人を思う気持ちそのものが一番の供養なのだと、父が最後に身をもって教えてくれたような、そんな夜でした。