父の葬儀で、通夜振る舞いの席に並んだのは、立派な寿司桶に詰められた握り寿司や、オードブルの盛り合わせでした。葬儀社の担当者の方が、一般的なメニューとして手配してくれたものです。しかし、その華やかな食事を前にして、母がぽつりと呟きました。「お父さんが本当に好きだったのは、あそこのお稲荷さんだったのにね」。母が言ったのは、実家の近所に古くからある、小さな寿司屋のことでした。父は、そこの甘辛く煮付けられたお揚げで包んだ、少し大ぶりのいなり寿司が何よりも好物で、週末になるとよく「お土産だ」と言って、家族のために買ってきてくれたのです。その言葉を聞いた私は、いてもたってもいられなくなりました。私はこっそりと席を立ち、斎場を抜け出して、夜道をその寿司屋へと走りました。幸い、店はまだ閉まっておらず、息を切らして駆け込んだ私を、白髪の店主が驚いた顔で迎えました。「親父が、亡くなったんです。ここのいなり寿司が、大好きで。今、通夜をやっているんですが、最後に食べさせてやりたくて」。事情を話すと、店主は何も言わずに、奥で残っていた酢飯と油揚げで、手際よくいなり寿司を握り始めました。そして、出来上がったばかりの、まだ温かい十数個のいなり寿司を、「代金はいいから、親父さんに」と言って、私に手渡してくれました。斎場に戻り、そのいなり寿司を祭壇に供え、通夜振る舞いの席の隅に置くと、それに気づいた親戚たちが、次々と手を伸ばしました。「ああ、これ、兄貴が好きだったやつだな」「懐かしい味だねえ」。皆が、その素朴ないなり寿司を頬張りながら、父との思い出話に花を咲かせ始めました。豪華な握り寿司よりも、その地味ないなり寿司の方が、よほど父らしいと、誰もが感じていたのです。葬儀の食事とは、単にお腹を満たすためのものではない。それは、故人の人柄を偲び、思い出を共有するための、大切な装置なのだと。父が愛した甘辛いいなり寿司の味が、私にそのことを教えてくれました。
父の葬儀と、思い出のいなり寿司